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2014/2/3~2/9

2014年02月12日 00:53

自分へのプレッシャーの意味でもこのタイミングで更新。

◆2/3(月)
俳優チーム稽古、を今日も稽古場で執筆にさせて貰う。
松下さんと演助ちあきーぬが来てくれる。
中華を食べた。

◆2/4(火)
作家チーム稽古。糸井さん合流。
にも関わらず台本上がらず。
無理やりまとめたものを読んで頂いて、後半は相談を兼ねた雑談。
皆さんに気を使って頂く。
豪華メンバーの時間だけ奪ってしまっている。
全員集合ということで飲みにも誘って貰って中華。

◆2/5(水)
作家チーム稽古を自主練にして貰う。

一人で執筆中、札幌の実家から、祖父の逝去の連絡。
突然のことで、
完全に動揺して、
秘書ちゃんに対応を相談し、
涙が止まらず、
ぼーっとしてしまう。

何も手につかなくなって、なぜか一人、深夜のレイトショー「アメリカン・ハッスル」を観に行く。
面白かったんだけど、そこまでハマらなかったのは、さすがにこのタイミングで観たせいか。
俳優陣、たしかに皆素晴らしいけど、
「私、演技してます」
感が強すぎる気もした。
でも本当に素晴らしい。まさに演技合戦。

行き帰りの道でも油断すると涙が出てきて、
泣くと頭が痛くなるものなんだな。

◆2/6(木)
俳優チーム稽古。執筆と帰郷準備の為に自主練にして貰う。

◆2/7(金)
搭乗前に少しだけ打合せをして、昼過ぎの便で札幌へ。
従姉たちと待ち合わせて斎場に向かい、夕方過ぎに到着。

祖父の遺体と対面。
通夜。
涙が止まらず。

そのまま泊まれる斎場で、親戚で昔の写真を見たり、知らなかったおじいちゃんの話を聴いたり、笑ったり飲んだり。
やっぱりお通夜って故人の知らなかった一面が出るな。
最後は本当に久しぶりに揃った孫五人で明け方まで線香を繋ぐ。
眠気との戦いで変なテンションで不謹慎なことも言ったし騒いだしおじいちゃんごめんね。

◆2/8(土)
少しだけ眠って風呂に入って告別式。
出棺。
最期のお別れ。
骨を拾って、
斎場に戻って、
繰り上げ法要を終えて終了。

両親は「公演も近いし無理して参列しなくてもいいよ」と言ってくれたけど、
座組みの皆さんが気を使ってくれて、
結果的に参列が出来て、
ちゃんとお別れが出来て、
本当に良かった。
ありがとうございます。

身内の不幸があっても気丈に振舞う、
って言い方があるけど、
僕は気丈に振る舞うのは無理だった。

夕方の便で東京に戻るはずが、
東京の大雪により全便欠航。

今夜は実家で過ごすことに。
さすがに通夜と告別式を終えてひと段落したつもりが、ふとした時に涙が出てきて、
生きている間にしたかったことの後悔がまさに永遠の手遅れ。
何人かにLINEしたり電話したり。ありがとう。

◆2/9(日)
今日も飛行機とれず実家で過ごす。
執筆。
皆が待っていてくれる。
これでうまくいかなかったら、おじいちゃんのせいみたくなってしまう。
成功させる。



おじいちゃん。

祖父祖母の中で唯一生きていてくれたおじいちゃんだった。

今年の正月に、施設から車椅子に乗って家に来た時に、
スプーンでご飯を食べさせてあげたのが顔を見た最後になった。
もう身体の自由がきかなくて辛そうだったね。

小さい頃のことをほとんど覚えていない僕の、一番最初の記憶が、
おじいちゃんと一緒に雪かきをしている場面。
たぶん適当にやっていた僕に、おじいちゃんが、
「友之、ちゃんとやったのか?」
と笑いながら、煙草を取り出して、
「おじいちゃんも一服するか」
と火をつける。

元気で明るくて頑固な人だった。

両親の顔を知らずに育てられたおじいちゃん。
戦争で満州まで行って、生き延びたおじいちゃん。
戦後の大変な時期に、石炭の営業マンとして稼いだおじいちゃん。

90年の長い人生。
想像をはるかに超える苦労をしたと思う。

酔っ払うと、よく戦争の話をしてくれた。
「戦闘機から機関銃で狙われてな、真っ直ぐ走っていたら撃たれるから横によけたんだ、それで助かったんだ」
と、傷一つ無く帰ってきたことが自慢だった。
亡くなった戦友の話になると涙目になった。

子供の時、電話をかけると最初は冷たい声で「もしもし」と出るんだけど、僕と名乗ると、
向こう側の笑顔が見えてくるような優しい声になって、
「おお、友之か」
と嬉しそうに呼びかけてくれた。

高校受験の合格発表に向かっていると、先に番号を確認したおじいちゃんが歩いて来て、笑顔で「おめでとう」と言ってくれたから、
自分で見る前にわかっちゃったよ、おじいちゃん。

お酒が大好きな人だった。

孫にはいつも優しかったけど、若い頃は随分おばあちゃんを泣かせたらしい。
いい男だったしね。

お通夜では「秘密の多い人だった」と言われていたよ。
僕はそんなこと全然知らなかったけどね。
内緒で一つくらい秘密を教えてくれていたら、台本のネタに使いたかったよ。

大工仕事や庭いじりが好きで、昔はよく外に出ていた。

競馬も好きで、親戚の集まりの帰り道、競馬の結果を知りたくて急ぎ足で家に入って行った。

僕の家が喪中の時にも、年賀状が来ないのは寂しいからな、と特別に年賀状をくれた。

ずっと元気なままでいるような気がしていた。

でも十年くらい前に身体を壊してからは、気力、体力共にだんだんと弱っていった。

いつもよく喋って笑っていた人が、口数も表情も減っていった。

僕は僕で、おじいちゃんの孫なのに、いい歳をして定職にも就かず、自信が無くて、
心配するおじいちゃんと、素直に話せなくなっていった。

おじいちゃんが施設に入ってからお見舞いに行った時、
「ちゃんと食べていけてるのか」
と聴かれて、見栄をはって嘘をついた。
ごめんね、おじいちゃん。

弱っていくおじいちゃんを見るのも、
おじいちゃんを喜ばせることが何も出来ていない自分と向き合うのも、
両方辛かった。

施設に入る前の数年間は、おじいちゃんは実家にいたんだから、
僕が帰省した時にはいくらでも時間があったはずなのに、
どうしてちゃんと話をしなかったんだろう。

いつか、戦争の話とか、まだ知らない話とか、おじいちゃんの人生のことを、
しっかり聴きたかった。

もう麻痺をしてほとんど話せなくなってからも、
どこかでそんな時間が出来ると思っていた。
そんなわけないのに。

自信を持っておじいちゃんに会える時が来たら。
そんなこと考える暇があったら、
素直に話をすれば良かった。

ここにこんなことを書いてももう遅い。
台詞ではよく、
「逢える内に話をしないと駄目」
とか書くくせに、
自分では何一つ出来ていない。

親戚の中におじいちゃんがいることが当たり前すぎて、
いつまでもいてくれるような気がして、
お棺に入ったおじいちゃんとか、
祭壇に飾られた笑顔の遺影とか、
最期は骨になったおじいちゃんを見て、
元気だった時の姿ばかり思い出されて、
いつまでも涙が止まらなかった。

おじいちゃん、本当にありがとう。
長い間、お疲れ様でした。
寂しいよ。
こうなるとわかっていたら、もっとちゃんと話がしたかった。
もっと一緒にお酒を飲みたかった。

おじいちゃんが元気な内に、日本酒やウィスキーを覚えて付き合いたかった。

そっちには、友達がたくさんいるだろうから、
大好きなお酒を好きなだけ飲んでね。

本当に、今更ここにこんなことを書いてどうするんだろうね。

「どんな仕事でも、一生懸命頑張ればなんとかなるんだ」と言っていたおじいちゃん。

これからは、怠けていたらおじいちゃんに見られちゃうから、
僕もこっちで精一杯頑張るよ。
すぐに自分を甘やかすけど、
そういう時はおじいちゃんのことを思い出すよ。
だから見守っていて下さい。

永遠、ていう言葉は、
愛とか友情よりも、
さようなら、という言葉にこそ、
悲しいほどに相応しいんだね。

さようなら。
本当にありがとう。

どうかどうか、安らかに。
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